山の図書館別館資料室「登山史年表」



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開山期編 近代登山輸入期編 大正編 昭和 戦前編 昭和 戦後T編 昭和 戦後U編
平成T編 平成U編 平成V編 平成W編    

■近代登山輸入期編■

1854年
安政元年
●9月17日、アルフレッド・ウィルスが、ヴェッターホルン(3701m)に初登頂
※本格的近代登山の始まりといわれる(金の時代:1865年まで)
◆3月、神奈川条約
◆8月、日米和親条約
◆12月23日、安政東海大地震
●「イギリス登山界の父」と呼ばれるジョン・ボール(政治家・科学者・旅行家)が、グロース・グロックナーに初登頂
1855年
安政2年
海山坊(冨田謙明)が阿弥陀岳経由で赤岳に登り、八ヶ岳を開山。赤岳講が盛んとなる ◆11月11日、安政江戸大地震
1857年
安政4年
●「イギリス登山界の父」と呼ばれるジョン・ボールが、ドロミテ山群のモンテ・ペルモ(3169m)に初登頂  
◆12月、E・S・ケネディを議長として、世界初の登山団体AC(英国山岳会)設立(翌1858年3月にジョン・ボールが初代会長に就任)
以後、10年間でヨーロッパ主要国に相次いで山岳会が設立される
1858年
安政5年
1月4日、蝦夷地探検家・松浦武四郎が、積雪期の後方羊蹄山(シリベシヤマ)に登る ◆2月26日、飛越地震
◆6月、日米修好通商条約
◆安政の大獄
◆立山・鳶山(2616m)が大崩壊し、立山カルデラに大量の土砂が堆積
加賀藩士・増崎藤左衛門が剱岳に登る
1860年
万延元年
●9月11日(旧暦7月26日)、初代イギリス公使ラザフォード・オルコックの一行が富士山に登る。この時、トビィというスコッチテリアが同行、イヌとして初登頂 ◆咸臨丸がアメリカに向かう
◆3月、桜田門外の変
1861年
文久元年
●物理学者チンダルが、ヴァイスホルン(4505m)に初登頂  
1865年
慶応元年
●7月14日、イギリス人エドワード・ウィンパーら7名が、ヨーロッパ・アルプス主要山岳最後の処女峰・マッターホルン(ヘルンリ稜)に初登頂。しかし、下山中にパーティ7名のうち4名が墜死
※ヨーロッパ・アルプス探検登山期終焉(銀の時代の始まり:1882年まで)
◆第一次長州征伐
◆インド測量局のサー・アンドルー・ウォー局長が、ヒマラヤのピークXV(サガルマータ/チョモランマ)に「エベレスト」と勝手に名付ける
1866年
慶応2年
●8月21日(旧暦7月)、スイス総領事カスパール・ブレンワルトらの一行が富士山に登る ◆第二次長州征伐
●9月28日(旧暦8月)、アメリカ隊(内紛により下級公使館員のみ)が、富士山に登る
1867年
慶応3年
●1月31日、ミス・ストレイトと数名のガイドが、ヨーロッパ・アルプスの最高峰・モンブランの冬期初登頂に成功 ◆パリ万国博覧会
◆マルクス「資本論」発刊
◆10月14日、大政奉還
◆11月、坂本龍馬暗殺
◆幕府開成所から「官板実測日本図」が刊行される(伊能忠敬の小図を元にした木版図)
●9月14日(旧暦8月)、オランダ公使ファン・ポルスブルックらの一行が、富士山に登る
●10月7日(旧暦9月)、イギリス公使ハリー・パークスとその夫人らの一行が富士山に登る(夫人は、外国人女性としては初登頂)
◆以後、外国の外交官、軍人などの富士登山が相次ぐ
◆外国人植物学者などが全国の山を調査し始める
■近代登山:登山と宗教の分離
1868年
慶応4年
明治元年
  ◆1月3日、鳥羽・伏見の戦い(戊辰戦争)
◆4月11日、江戸開城
 
1869年
明治2年
●物理学者チンダルが、アレッチホルン(4195m)に初登頂 ◆3月28日、東京遷都
◆5月18日、北海道・五稜郭開城
 
1870年
明治3年
  ◆1月18日、ドイツ帝国成立
 
1871年
明治4年
芦安村の行者・名取直江が、北岳を開山(主要山岳としては最後の開山) ◆7月14日、廃藩置県
◆伊能忠敬の地図を元に、一般向けに日本図が数多く刊行される
1872年
明治5年
◆大阪造幣局に招聘され、イギリス人技師ウィリアム・ガウランド(のちに日本アルプスの命名者となる)来日(明治21年帰国) ◆9月12日、新橋〜横浜間に国内初の鉄道が開業
◆5月、明治政府が、山伏・修験道禁止令を発布
◆明治政府が、山岳霊場に対する女人禁制撤廃令を発布
1873年
明治6年
●イギリス人技師ウィリアム・ガウランドと上司のディロンが、御嶽山に登る ◆1月1日、太陽暦を実施
 
1874年
明治7年
●英国のガーディナー・グローブ・ウォーカーとスイス人ガイドもペーター・クヌーベルらが、欧州最高峰のエルブルース(5633m)に初登頂 ◆4月4日、台湾出兵
◆6月23日、北海道の屯田兵制度制定
 
1875年
明治8年
●農芸家ジェフリースが、積雪期の富士山に登る ◆5月7日、千島・樺太交換条約
●7月、ウィリアム・ガウランドと造幣局の大野、駐日イギリス大使館の通訳バークス・アーネスト・サトウ(佐藤相之助)が、御嶽山に登る
●8月、東京帝国大学言語学教師のバジル・ホール・チェンバレンと津田仙、アーネスト・サトウが、八ヶ岳に登る
1876年
明治9年
白馬鑓温泉から引き湯の工事が始まるが、飯場が雪崩に襲われ11名が死亡 ◆3月28日、廃刀令
◆12月、伊豆大島・三原山が噴火
 
1877年
明治10年
●1月、工部省工学寮の外国人教師ミルン、東京開成学校教師ナウマン、和田維四郎が、噴火したばかりの伊豆大島・三原山を調査 ◆1月、西南戦争
◆エジソンが蓄音機を発明
●7月、モースが日光の男体山に登る
●8月、工部省工学寮の外国人教師ジョン・ミルンが、火山視察のために岩手山に登る
1878年
明治11年
◆地図作成のため、内務省地理局、農商業務省山林局・地質調査所、参謀本部陸地測量部、宮内庁御料局などによる測量登山、調査登山が本格化  
●7月28日、ウィリアム・ガウランドが槍ヶ岳に登る(外国人として初登頂)
●駐日イギリス大使館の通訳バークス・アーネスト・サトウが、針ノ木峠を越え立山に登る
1879年
明治12年
●イギリス人のママリーが、3名のガイドとともにマッターホルン・ツムット稜の初登攀に成功 ◆4月4日、琉球処分
●7-8月、工部省工学寮の外国人教師ジョン・ミルンが磐梯山、月山、鳥海山、岩木山に登る
●7-8月、ロバート・アトキンソン、ジェームズ・ディクソン、中沢岩太が、八ヶ岳、白山、立山に登る
●ウィリアム・ガウランドが立山登り、雄山の標高を2819mと推定(正しくは2991.6m)。続けて、爺ケ岳、野口五郎岳に登る
1880年
明治13年
●帝大(現・東大)の外国人教師メンデルホールとチャップリンが、学生とともに富士山山頂に3日間滞在し、初の気象観測を行う  
●針ノ木峠を越え、信州と越中を結ぶ「信越連帯新道(立山裏街道/立山新道/針ノ木新道)」が開通(崩壊により、2シーズンで廃道となる)
●イギリス人ウィンパーと、イタリア人カレルが南米アンデス山脈チンボラッソ(6310m)に初登頂(当時、チンボラッソは世界最高峰といわれていた)
1881年
明治14年
●イギリス大使館の通訳バークス・アーネスト・サトウが、金峰山、三ツ峠、権現岳、白河内、農鳥岳、間ノ岳に登る  
8月、内務省地理局の梨羽晴記らが赤石岳に登頂し、三角点を設置
◆ウィリアム・ガウランドが著書の中で、日本の中部山岳を「日本アルプス」と命名(アーネスト・サトウ、A・ホーズとの共編「日本旅行案内」)
旧高遠藩士、新潟の中学教師・高橋白山が三峰川から甲斐駒ヶ岳に登る
1882年
明治15年
●3月、イタリアの著名な山岳写真家・ビットリオ・セラらが、マッターホルン(リオン稜)に登頂  
◆明治政府・教部省布達によって、修験道が復活
地質調査所の技師・横山又次郎らが、南アルプス三峰川、野呂川、早川一帯を調査
旧高遠藩士、新潟の中学教師・高橋白山が、御嶽山と浅間山に登る
1883年
明治16年
8月21日、大町小学校長の渡辺敏、北安曇郡長・窪田畔夫ら9名が、白馬岳に登る ◆2月16日、国内で天気図の作成が始まる
◆11月28日、鹿鳴館開館
●地質調査所の地質学者ナウマンが、富士山に登る
1884年
明治17年
◆陸軍参謀局製20万分の1暫定図が発売される(伊能図に内陸部を加筆したもの)。以後、三角測量による帝国図に順次置き換えをすすめた  
◆修験行者の植松嘉衛が、甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根五合目に山小屋を建設
地質調査所の技師・横山又次郎らが、南アルプス鳳凰山に登る
地質調査所の技師・中島兼造らが、南アルプス赤石岳に登る
1885年
明治18年
8月、竹内泰臣を隊長とする森林資源調査団が、白馬岳から立山一帯を調査  
◆入四カ村(安曇村)も上条百次良らが、松本平・上高地一帯で牧場経営を始める(時代とともに奥地に移動し、昭和9年に廃業)
農商務省の技師・坂市太郎が槍ヶ岳から三俣蓮華山を縦走。槍ヶ岳の標高を測量する
1886年
明治19年
   
 

1887年
明治20年
旧富山藩士・漢学者の小杉復堂が、1ヶ月をかけ、富士山、日光白根山、御嶽山、乗鞍岳、大蓮華山(白馬岳)に登る ◆エジソンが電球を発明
8月、蝦夷地探検で知られる松浦武四郎(70才)が富士山に登る
●ヴィンクラーが、ドロミテの岩峰ヴィンクラー・ツルムの単独初登攀に成功。その後、大胆な登攀を繰り返し、各地にヴィンクラーの名を残す
1888年
明治21年
●ノルウェーのフリチョフ・ナンセンが、スキーでグリーンランド横断に成功 ◆7月15日、磐梯山が爆裂噴火を起こす
●イギリス人のママリーが、コーカサスのディフタウ山(5198m)に初登頂
●ヴィンクラーが、西アルプスのツィナールロートホルン(4221m)に単独登攀後、ヴァイスホルンに向かったまま消息を絶つ
◆4月、英国国教会伝道協会の宣教師のウォルター・ウェストンが初来日(明治27年まで滞在)
1889年
明治22年
8月、のちに長蔵小屋を営む平野長蔵が、尾瀬の燧ヶ岳に初登頂 ◆2月11日、大日本帝国憲法発布
◆8月、奈良県十津川村に大規模土石流災害
●10月19日、ドイツの地質学者ハンス・マイヤーと、オーストリア人教師ルードビッヒ・プルチェラーが、アフリカの最高峰キリマンジャロ(5895m)に初登頂
9-10月、地質調査所の技師・大塚専一らが、鹿島槍ヶ岳から白馬岳・雪倉岳を縦走
1890年
明治23年
◆平野長蔵が、尾瀬・沼尻に行人小屋を建設 ◆7月1日、第1回衆議院議員総選挙
◆11月25日、第1回通常議会
 
1891年
明治24年
●7月末、ウェストンが、H・W・ベルチャーとともに浅間山に登る。続けて8月に槍ヶ岳の試登(頂上直前で撤退)、木曽駒ヶ岳(8月12日)、御嶽山に登頂 ◆5月11日、大津事件
◆10月28日、濃尾地震
9月、陸地測量部の矢島守一らが、甲斐駒ヶ岳を測量。一等三角点を設置
9月、東京英和学校の安藤準平のパーティが、木曽駒ヶ岳・濃ケ池で遭難
12月、ウェストンが、村山口から冬期富士山に登頂
1892年
明治25年
●5月、ウェストンが、モンターギュ・フォーダムとともに富士山に登頂  
●イギリスの登山家、ウィリアム・コンウェイ卿が、カラコルムに遠征。パイオニア・ピークなどに登頂
●8月、ウェストンが、ミラーとともに平湯から乗鞍岳に登る。その後、安房峠を越え、信州側から槍ヶ岳に登頂。その後、同行のミラーと別れ、赤石岳に登頂
1893年
明治26年
●5月、ウェストンが、ノエル・E・バクスンとH・W・L・オラークとともに恵那山に登り、続けて富士山に登頂(一行が富士山で遭難したとの誤報が新聞に掲載) ◆フォードが自動車を発明
●6月、ノルウェーのフリチョフ・ナンセンと、オット・スベルドルップ船長以下12名が、フラム号で北極海漂流に出発。途中、1895年に犬ゾリで北極点を目指し、北緯86度14分まで到達(1896年8月に帰国)
7-8月、陸地測量部の館潔彦らが、三角点選定のため白馬岳、前穂高岳、御嶽山、八ヶ岳に登頂。前穂高岳では案内人として上條嘉門次が同行
吾妻山・一切経山が爆発し、地質調査所の技師・三浦宗二郎と測量技手・西山怱吉が殉職
●8月、ウェストンが針ノ木峠から立山に登頂。続けて、徳本峠から前穂高岳に登頂(8月25日)。前穂高岳では案内人として上條嘉門次が同行
1894年
明治27年
●3月27日、C・シモンらが、マッターホルン(ヘルンリ稜)も冬期登攀に成功 ◆8月1日、日清戦争勃発
●6-8月、イギリスの登山家、ウィリアム・コンウェイ卿が、86日間で4カ国に跨るヨーロッパ・アルプスの39座に登頂
陸地測量部の館潔彦らが、八ヶ岳(赤岳)、乗鞍岳、立山、木曽駒ヶ岳を測量
●7-8月、ウェストンが、H・J・ハミルトンと同志社の浦口文治とともに蓮華岳(白馬岳)に登る。その後続けて、笠ヶ岳、常念岳、御嶽山に登頂
9月、第一回利根川水源探検隊が、奧利根から尾瀬の一帯を調査
1895年
明治28年
2月14日、気象研究家・野中至が、厳冬期の富士山に初登頂(前年の夏、山頂に観測小屋を建設) ◆4月17日、下関条約
◆4月23日、三国干渉
●イギリス人のA・F・ママリーがナンガ・パルバットに挑戦。約6000m地点に到達したが、下山時に消息を絶つ
10月1日、気象研究家・野中至が、富士山山頂に建てた小屋で気象観測を開始
10月12日、気象研究家・野中至の妻、千代子が富士山に登る(厳冬期女性初登頂)。以後、12月22日まで滞在(病気と寒さで動けなくなっているところを救出される)
1896年
明治29年
◆イギリスに帰国したウェストンが、著書「Mountaineering and Exploration in the Japanese Alps(邦題:日本アルプスの登山と探検)」(ロンドン/ジョン・マレー社)を発刊 ◆6月15日、明治三陸地震による津波被害
木暮理太郎が単独で、針ノ木峠〜黒部〜立山、乗鞍岳、御嶽山、木曽駒ヶ岳、甲斐駒ヶ岳、金峰山〜十文字峠〜甲武信ヶ岳を踏破
1897年
明治30年
●1月14日、国際隊(隊長:フィッツジェラルド/イギリス)が、南米の最高峰アコンカグア(6959m)に初登頂(登頂者は、スイス人ガイドのツルブリッケン)  
 
1898年
明治31年
◆林並木が、第四高等学校旅行部設立  
●小泉八雲が御殿場から富士山に登る
8月、大町小学校校長の河野齢蔵、同僚の岡田邦松、吉沢秀吉が、白馬岳に登る(この登山で発見したシロウマアサツキなどの植物を、1900年に「植物学雑誌」で発表)
1899年
明治32年
小島烏水、岡野金次郎が乗鞍岳に登る  
●英国隊が南極大陸のアデア岬で、初の越冬を行う
1900年
明治33年
◆武田久吉らが、日本博物学同志会(のちに日本山岳会の母体となる)を設立  
 
1901年
明治34年
大町中学の生徒21名が、白馬岳に集団登山(学校登山の草分け的記録) ◆1月1日、オーストラリア連邦成立
 
1902年
明治35年
1月、帝国陸軍第8師団第5連隊(青森連隊)が、八甲田山で行軍中に大量遭難。197名が凍死 ◆1月30日、日英同盟  
◆ウォルター・ウェストンが、英国福音伝播協会の宣教師として2回目の来日(明治38年まで)。来日後、すぐに南アルプスの北岳に登る(8月)
◆ウィーン留学から帰国した地理学者・山崎直方が、白馬岳、雪倉岳の調査から、日本にも氷河が存在したと発表。氷河地形論争が起きる
山林局、御料局の山林官が、北アルプス稜線で境界査定を行う(1904年まで)
5月、陸地測量部の山本米三郎が、仙丈岳、鳳凰山(観音岳)、笊ケ岳、農鳥岳を相次いで測量。二等三角点を選定
8月、大谷光瑞らが、中央アジア仏蹟探検に出発
8月17日、小島烏水と岡野金次郎が、白骨温泉から霞沢岳を経て、槍ヶ岳に登頂。案内人として筒木市三郎が同行(翌年、「鑓ヶ岳探検記」を発表)
1903年
明治36年
7月24日、武田久吉が夏沢峠から八ヶ岳・赤岳に登る。この山行でヒナリンドウ、タカネシダを発見 ◆ライト兄弟が動力飛行に成功
●8月、ウェストンが黒戸尾根から甲斐駒ヶ岳に登る。鋸岳を目指したが、途中で引き返す。浅間山に登る
1904年
明治37年
小島烏水が、南アルプスの北岳に登る ◆2月10日、日露戦争勃発
松本の開智小学校の児童6名を含む教職員ら15が、4泊5日で槍ヶ岳に集団登山
●7月15日、ウェストンが鳳凰山・地蔵岳に登頂し、オベリスクに登る。また、続けて北岳、仙丈岳、高妻山、妙高山、八ヶ岳、富士山に登る
1905年
明治38年
7月、小島烏水、山崎小三らが赤石岳に登る。続けて御嶽山、木曽駒ヶ岳に登る ◆5月27日、日本海海戦
◆ロシア革命始まる
◆9月5日、ポーツマス条約
◆アインシュタインが特殊相対性理論を発表
7月、武田久吉と梅沢親光が、はじめて尾瀬を探索
8月、乗鞍岳で小牧厚彦ら5名が遭難。新聞で大々的に報道される事件となる
9月、鵜殿正雄が、岳川谷から前穂高岳に登頂(登山家として初登頂)
◆北城村の山木旅館の当主、松沢貞逸が白馬岳山頂に北アルプス初の営業小屋(現・白馬山荘)を開業
◆10月14日、ウェストンのすすめにより、小島烏水らが中心となって日本博物学同志会の支会として「山岳会(日本山岳会の前身)」を創立
1906年
明治39年
8月、小島烏水と畠山善作が、中房温泉から燕岳、大天井岳、常念岳、蝶ケ岳、上高地までの縦走を行う  
8月、高頭仁兵衛、志村寛(烏嶺)、大平晟らが、蓮華温泉から白馬岳、槍ヶ岳を往復。針ノ木峠から室堂、立山。中房温泉から燕岳、常念岳、槍沢から槍ヶ岳という連続登山を行う
◆アメリカのフレデリック・クック博士が、北米最高峰のデナリ(マッキンリー)に初登頂したと発表(7年後にウソがばれる)
1907年
明治40年
7月13日、陸地測量部の柴崎芳太郎ら7人が剱岳に登頂(三角点選定)、錫丈の頭と槍の穂先を発見(現在の長次郎谷ルートは、案内人の宇治長次郎がこのときに開拓)  
7月、志村寛(烏嶺)が、中房温泉から烏帽子岳、鷲羽岳、笠ヶ岳への縦走を行う
8月、山梨師範教諭の石塚末吉らが、奈良田から白根三山を縦走。広河原を経て鳳凰山に登り返し、芦安に下山
1908年
明治41年
7月、三枝威之介らが、白馬岳〜五竜岳〜鹿島槍ヶ岳を縦走  
7月19日〜、小島烏水、高頭仁兵衛らが、西山から入山し、白峰三山までを大縦走
◆8月、大名田小学校校長・古瀬鶴之助の提唱により、飛騨山岳会設立
8月、石川光春が、燕岳〜槍ヶ岳〜笠ヶ岳の初縦走
1909年
明治42年
●4月6日、アメリカ・ピアリー隊(隊長:ロバート・ピアリー海軍中佐)のピアリー隊長とマシュー・ヘンソン隊員、サポートのイヌイット4名が北極点に到達 ◆10月26日、伊藤博文暗殺
◆北海道の樽前山が大噴火し、世界的にも希な溶岩ドームが出現
◆アメリカのフレデリック・クック博士が、1年前に北極点に到達していたと発表。しかし、アメリカ地理学会は、ピアリー隊の到達を史上初と認定
5月、田部重治と木暮理太郎が、奥秩父の雲取山に登る
◆6月、日本博物学同志会の支会であった山岳会が、「日本山岳会」と改称
●英国のE・シャックルトン隊が、南極の南磁極(南緯72度25分、東経155度16分)に到達。さらに、南緯88度まで達するが、南極点目前で断念
7月、石崎光瑶(後年、日本画家、ヒマラヤンクライマー)、吉田孫四郎(東大生)らが、剣岳に登る。登山者としては剱岳への初登。案内人として宇治長次郎が同行(陸地測量部と同じ宇治長谷ルートを往復)
7月21日〜、小島烏水、高頭仁兵衛らが、20日間をかけ悪沢岳、荒川岳、赤石岳の縦走を行う
8月、芥川龍之介ら東京府立三中の中学生4名が、槍ヶ岳に登る
8月、鵜殿正雄が、穂高〜槍ヶ岳の初縦走に成功。案内人として上條嘉門次が同行
◆10月、名古屋の北尾鐐之助らが、名古屋愛山会を設立
1910年
明治43年
8月、加賀正太郎が、ガイドのへスラーとともにユングフラウに登頂(日本人初のヨーロッパアルプス4000m峰登頂)
以後、日本人のヨーロッパ・アルプス進出が始まる
◆5月、ハレー彗星出現
◆8月、日韓併合
◆有珠山が噴火し、明治新山(四十三山)ができる
夏、小島烏水と高頭仁兵衛らが、上高地〜槍ヶ岳〜双六〜薬師岳〜有峰への縦走を行う
●アラスカの猟師ピーター・アンダーソンとビリー・テイラーが、賞金目当てにデナリ(マッキンリー)北峰に初登頂。南峰が本当の頂上であるため、初登頂にはならず
9月、鵜殿正雄が、仙丈ヶ岳〜北岳〜鳳凰山を縦走
◆11月、塚本永尭らが神戸草鞋会を設立(のちに、神戸徒歩会、関西徒歩会に発展)
11月28日、白瀬矗中尉の南極探検隊・開南丸が、南極大陸に向け出発
1911年
明治44年
◆信濃博物館の河野齢蔵らが、信濃山岳会を設立 ◆10月10日、中国で辛亥革命
◆1月10日、オーストリア陸軍武官レルヒ少佐が、高田歩兵五十八連隊で初のスキー講習を行う
3月、オーストリア陸軍武官レルヒ少佐が、御殿場から富士山八合目までスキー登山を行う
5月、オーストリア陸軍武官レルヒ少佐が、燕温泉から妙高山へスキー登山を行う
夏、小島烏水が、穂高岳〜槍ヶ岳の縦走を行う
●10月19日、ノルウェーのアムンゼン隊が、南極点に向け出発
●10月24日、イギリスのスコット隊が、南極点に向け出発
●12月14日、ノルウェーのアムンゼン隊が、史上初の南極点到達


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